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岐阜・長良天神神社 ~梅に遅し、桜に早し

参拝

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梅と桜の間の長良天神神社

ひさびさの参拝とブログ更新。

天神さんということで、境内には梅が植えられていますが、ほとんど散りかけでした。

長良天神神社の梅

長良天神神社とは

承久年間(1219~1221)美濃国の目代に任じられた、北面の武士斎藤帯刀左衛門尉親頼を祖とする、美濃国の斎藤氏が氏神として、当神社を勧請されました。

寛正年間(1460~1466)斎藤帯刀左衛門尉利藤が本殿を造営し、永正年中(1504~1520)斎藤帯刀左衛門尉利安及長井越中守長弘によって本社を修復し、天正16年(1588)池田三左衛門輝政社壇を構築寄進されました。

江戸時代長良が尾張藩の所領となるや、尾張藩も亦当神社を尊崇し、藩主代替わりの都度に代参の派遣を恒例とし、七代宗春侯・九代宗睦侯・十二代齊荏侯は、親しく当社に参拝の事あり。また尾張の支藩高須城主も、本家と同じく篤い崇敬を寄せ、十代藩主義建侯は二度に亘って、心願と報賽の故を以って神額を奉納されています。

かく武門の篤い尊崇が寄せられたので郷民の崇敬も厚く、長良三郷の惣社と仰ぎ、慶長年間(1596~1614)に社殿の造営、元和年間(1615~1623)に拝殿の再建、享和元年(1801~1803)本殿の造営(現存)、嘉永5年(1852)に拝殿の造営(現存)を奉仕する等、古来より神威の高い神社です。

昭和34年伊勢湾台風により、森厳な森の大木が倒伏、社殿が破損し昭和36年復興造営奉賛会設立、祭文殿新築・社務所新築・神門新築・参集殿新築・祝詞殿新築・翼廊増築・境内整備が行われ昭和61年完結し社頭の尊厳が一新、神威ひときわ高く輝き、現在に至ります。

長良天神神社の拝殿と梅

長良天神神社の境内

長良天神神社は住宅街の真ん中にあるので場所はとてもわかりにくいです。

とはいえ、看板が道沿いところどころにあるので、近くまで行く分には大丈夫だと思います。

南参道。

長良天神神社の南参道

神門。

長良天神神社の神門

車での参拝の場合は、神社を見つけても、どこに駐車していいのかちょっと難しいです。

境内が駐車場になっていて数10台とめられるみたいですが、西側の鳥居をくぐって、すれ違いのできない狭い通路を通って行かないといけないです。

参拝した日は、あまり人が多くなかったので、こういう日は正面の門の前や、公道なのか神社の敷地なのかわからない道路に止めてもいいかもしれないです。

境内がほぼ自由に停められる駐車場になっているので、梅や桜を写真に撮ろうと思っても必ず車まで入ってしまいます。

梅の時期、桜の時期は、境内への駐車制限とかないと混乱おきそうな感じです。そんなに人来ないのかな?

辰山稲荷神社。

辰山稲荷神社

枝垂桜と拝殿。

長良天神神社の枝垂桜と拝殿

社務所と拝殿。

長良天神神社の境内

御朱印は300円でした。

長良天神神社の御朱印

太宰府天満宮の御朱印帳にいただきました。

まとめ

思いのほか参拝客の車は多かったですが、人はそれほどいませんでした。

梅の時期を逃したのがちょっと残念でした。

境内に車が多く停められてしまうので、写真を撮るには人が多いシーズンを避けたほうがいいんですが、梅や桜の時期はそうもいかなそうなので悩ましいところです。

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