引き続き津市での参拝
もう一月前の参拝になってしまいましたが、前回の三重縣護国神社に引き続き参拝した津市の高山神社です。
![高山神社](images/img-kozan-jinja.jpg)
高山神社とは
高山神社(こうざんじんじゃ)は三重県津市の、津城址にある神社で、藩祖の藤堂高虎を祀っています。
神社名は、藤堂高虎のおくり名が『高山居士』であることから、『高山神社』と名づけられました。
藤堂高虎とは
御祭神の藤堂高虎公は、弘治二年(1556年)滋賀県の藤堂村(現、甲良町)お生まれになりました。
青年時代は、浅井長政、秀長(秀吉の弟)に仕え、出世の糸口をつかむことが出来ました。秀長の死後は秀吉の直臣として、宇和島(四国)の城主となりました。秀吉の死後は家康に起用され、関が原合戦、大阪冬・夏の陣に数々の武功をたて、戦国武将として、不動の地位を確立しました。また一方では築城の名手としても名高く、宇和島、今治をはじめ膳所、丹波、亀山、篠山、伏見、大阪、江戸等多くの城の設計を手がけました。
そして家康側近としては、外様大名でありながら、譜代大名たちのなし得なかった、多くの重要な問題や困難な事業等をすべてなしとげるなど、比類なき、敏腕をふるい、のちには伊賀を合わせると32万3000石の領主となり、津市発展の礎をきずきました。
寛永七年(1630年)江戸藩邸に於いて75オの輝かしい生涯を閉じられました。
お城公園にある藤堂高虎公像
![藤堂高虎](images/todo-takatora.jpg)
高山神社と周辺
境内には多くの人が集まっていました。1月7日ということで七草粥がふるまわれていたようです。
![高山神社の社務所](images/img-kozan-jinja01.jpg)
メ縄焼をしていました。お焚き上げ?どんど焼?呼び名は、場所によっていろいろあるみたいです。
![高山神社のメ縄焼](images/img-kozan-jinja02.jpg)
境内には城山稲荷神社もあります。こちらはひっそりしていました。
![城山稲荷神社](images/img-kozan-jinja03.jpg)
高山神社の東にはお城公園があります。津城跡が公園として整備されています。
![津城・丑寅櫓](images/tsu-jo01.jpg)
廃藩置県の廃城令により破却されてしまいましたが、「丑寅櫓」が再建されています。
![津城・丑寅櫓](images/tsu-jo02.jpg)
社務所も忙しそうな感じでしたが、快く御朱印を書いていただけました。300円でした。
![高山神社の御朱印](images/s-kozan-jinja.jpg)
藤堂高虎が戦国武将・藩主ということで尾山神社の御朱印帳にいただきました。
![尾山神社の御朱印帳](images/s-cho-oyama-jinja.jpg)
まとめ
神社に思いもよらず多くの人がいたので、写真はあまり撮れず。
津城周りをぐるっとしましたが、お堀から噴水がでていたり、石垣程度で城跡もそれほど残っておらず公園という感じしかありませんでした。
とはいえ、築城の名手ということくらいしか知らなかった藤堂高虎について、今回の参拝でいろいろ勉強することができました。